古文書、やっと課題1を提出しました

 

ふとしたことから古文書の通信教育を始めた私ですが・・・

 

やっと第一回目の課題を出しました!!!

 

ああ〜、長かったぁ〜。

 

振り返ってみると、NHK学園から教材が届いたのが9月末、その時は、新しいことを始めるワクワクでいっぱいで、6ヶ月間の学習期間とあるのを見て、

こんなの3か月で終わるわ〜😁と思ったものです・・

 

一体どこからそんな自信が???

 

確かに、最初の勢いでは3か月で終わったかもしれませんが、

それは最初の一週間だけだったかも😅

 

それはさておき、

 

テキストの古文書は面白いものばかりです✨

 

一つ目は、「金蔵久離帳外につき願書」。

↑崩し字にしても、かなり癖があります。

 

金蔵(きんぞう)っていう男、40にもなるのに、仕事はしない、朝から酒ばっか飲んでる、親も親類も意見しても、何一つ改善されない。いっそ「久離」(きゅうり)、勘当して、村の戸籍から外して「帳外」(ちょうがい)してくれという内容。

 

この申し出が、金蔵の父親から出されています。

 

しかし、40にもなって今さら勘当して、金蔵はどうするんでしょうねえ?

 

ひょっとして、「今度こそ許さないぞ!」と息子にお灸を据えるための処置かもしれない。

 

それか、この金蔵、「身持ちも良くない」とあるので、どこかの奥さんにちょっかい出して、怒った旦那さんが「うちの女房に手を出すな!」とぽかっと殴ったら、あっけなく死んでしまった。殴った方は、真面目で謹厳実直、どう見ても金蔵が悪いのに、、、

っていうんで、殺人を隠蔽するために、村から出ていったことに・・・

考え過ぎか??

 

二つ目は、「家出人行方不明につき訴え書」。

 

誰が行方不明かというと、茂平次(もへいじ)さんのところのお婿さん!!

 

「うちの婿養子が行方不明でして、以前訴えたところ、30日を限って探せとおっしゃるので、心当たりを探したんですが、いまだに行方が分かりません・・・」という内容。

 

婿に何があった?まさか殺人事件隠蔽・・・(さっきと同じ)

 

そして3つ目。「村の名主交代の話」。

 

中野村の村人から出されたもので、この地で41年も名主を務めた卯右衛門(ううえもん)が病気になった、息子の要太郎も実直な人間なので、彼に引き継ごうと思う、その場合、息子が卯右衛門の名を名乗り、今までの卯右衛門は安兵衛と名乗るのはどうか、という内容。

 

この村では、同じ家の者が代々名主を務めている世襲名主(せしゅうなぬし)という方法です。歌舞伎の世界みたいですねー。

 

それにしても、41年も務めたのがびっくりです!二十歳で名主になったとして、60過ぎ?さらにびっくりしたのが、4つ目の古文書でした。

 

「卯右衛門さんが亡くなったので、息子の岩松(いわまつ)に名主を引き継ごうと思うが、まだ17歳と若いので、当分は後見人をつけたいと思う・・・」という内容。

 

そうか、卯右衛門さん、ついに亡くなって・・・と感慨に耽っていると、

待てよ、息子の名前が違うじゃないか??要太郎じゃなかったっけ??

 

よく見てみると、最初の古文書は明和3年(1766)、次は安永6年(1777)で、10年の年月が流れています。

 

最初の卯右衛門さんが41年の長期政権で、次の要太郎は就任後10年で亡くなって、要太郎の息子の岩松が17歳で名主になった!!

何だか、ある一家の物語を見ているようです・・・

 

この4つ目の古文書が提出課題になりました。候文(そうろうぶん)をきちんと押さえていれば難なくクリアできるはず、の内容でしたが、、、

崩し字ってやつは、日によって違う文字に見えるので、大変苦労しました。

 

私はどうも、古文書の物語の方に惹かれる癖があるようで、崩し字についてとか勉強方法とか、今回は余り書けませんでしたが、また次回にしたいと思います。

ボケてますが、実際のリポート用紙です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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古波蔵ふう香
古波蔵ふう香
猫と和のお稽古にまっしぐらな私の毎日をつづります。