専属速記者・福岡隆さんの「人間・松本清張」によると、「この「半生の記」では、その灰色の境遇に、私は速記しながら何度胸詰まる思いをしたかしれない」とあります。
清張の最終学歴は小学校卒。明治42年(1909年)生まれなので、大正のころはそんなものだったのかもしれませんが、実家が貧しく、中学校へ進学できませんでした。
上級学校へ進学するよう教師が家を訪ねてきたものの、余りの貧しさに何も言わず帰ったとあります。
いろいろな仕事を経て、手に職をつけようと、今で言う広告デザインの仕事で朝日新聞社に入社しますが、ここでも学歴がないために全く出世の見込みはありませんでした。
図案や版下文字は、新聞社の広告部という機構の上からは余り有用ではなかった、そして同様なことが校正係にも言える・・・とあります。
新聞社での花形は外交係(営業)でした。
彼らの優越意識には鼻持ちならぬものがあった。それに比べ、私たちの机はあわれだった。私は、今でも、昼間から点(つ)いているスタンドの下で活版の降版(こうはん)時間に追われながらせっせと朱を入れている校正係の歯を喰いしばったような姿を泛かべることができる
このくだりは私も胸に詰まるものがありましたね。
半生の記・・・ふうちゃんも書いてみようかにゃ
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- 猫と和のお稽古にまっしぐらな私の毎日をつづります。
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