うちの家族、諦めるための3年間

 

このふうちゃん写真見ると、口角を上げるのは大事だな〜。

 

だんだんこっち(東京)の実感がわいてきました。

 

でも、それってちょっとずつ田舎の感覚が遠ざかっていることよね、寂しい〜。

 

生活してると、つい目の前のことに夢中になって、最近は実家に連絡もしていなかったな〜。いかんいかん。

 

父は3年前に体調を崩しましたが、ここ2年はコロナのこともあって実家のことは姉に任せ切りでした。

 

「お父さんは楽しくていい人だったけど、最後の3年がなければよかったのに」と我慢強い姉が言っていたので、相当だったのでしょう。

 

母は年の割にしっかりしていると思っていましたが、父の最初の体調悪化も「自分が何とかすれば」と無駄に頑張って、結果、初動が遅れに遅れてしまいました。この段階で、「やっぱり子供が関わらないと駄目だな」と

自立した親を諦め、、、

 

二人で暮らしていくようにサポートを続けましたが、

老老介護の限界を見て、在宅を諦め、、、

 

父は施設に入り、自分が介護するのにこだわった母は

さっぱりした気持ちで一人暮らしに慣れてきた、、、

 

というのが我が家の3年間でした。

 

 

その段階ごとに手続、病院、施設、ケアマネと連絡し、リハビリ嫌いな父のためにあちこち頭を下げて回った姉には、もう、申し訳なくて仕方ないです。

 

最後の方のお父さん、痴呆で人格が変わって、あなたが見たらきっと泣いてしまうと思うよ、と姉から言われましたが、修羅場を見ていないせいか、私の中では優しい父のまま。

 

戦中戦後の厳しい時代を生きた父でしたが、多分最後の3年が一番大変だったんじゃないかな。あんなにリハビリ嫌いなのに、周囲から「やれ、やれ」と言われて笑

 

以前、「見える人」に見てもらったとき、父と前世のつながりを教えてもらいました。「ほんまですかー!?」という気もするんですが、楽しいお話だったので「まあ、アリかな」と半分思っています。

 

できれば、次の世でも父の近くにいたいものです。

 

父に親孝行できなかった分は、母には当然ですが、残りの分は、これからの私の宿題でとっておきたいと思います。

 

 

くつろぐふうちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

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古波蔵ふう香
古波蔵ふう香
猫と和のお稽古にまっしぐらな私の毎日をつづります。