講談の発表会の翌日は、友人の踊りの会を見に行きました。今日は月一回の「踊りに触れる日」なんどす。
この友人は、ゆる体操つながりなのですが、本当にすごい。素人ながら2月は国立劇場に出て、翌3月は一門の会に出演。一体いつお稽古してるの?と呆れ・・・いや、尊敬です。
さて、会場となる区民ホールに到着しました。出演者の家族で賑わっています。
ふと、私も約10年前、踊りの舞台に立ったときのことを思い出しました。あのとき見に来てくれた友人たちは、前日の講談の発表会にも来てくれました。
10年の間に日舞→三味線→講談と私の進化?気まぐれ?につき合ってくれて、本当にありがたいです。
以前、踊りは頑張っていて、我ながらいい線いっているんじゃないかと思っていましたが、それは自分だけだったようです。
あるとき、姉弟子が舞踊コンクールのようなものに出たと聞いて、「私も出たい」と師匠に言ったことがありました。
そのコンクールは、50歳以下という条件がついていて、入賞すれば舞踊家として認められる・・・というものでしたが、そこまで狙っていなくて、内輪の発表会に物足りなさを感じていたので、一つの目標として参加したいと思っていました。
しかし、そのときの師匠の言葉は微妙でした。「そうねえ・・・あなたはまだ50歳までに時間があるでしょ?もうちょっとお稽古すれば・・・余り下手でも、教えた方が、何だ、あそこの先生はと言われるのよ」と。
「じゃあ、コンクール目指して今日からビシビシいくわよ!」と当然言われると思ったのに、拍子抜けな感じ。つまり、今出ると、師匠が恥をかくということ?がっかりでした。
その後、師匠からも二度とコンクールの話が出なかったので、その程度だったのでしょう。あっという間に年齢制限の50歳を過ぎてしまいました。
(今から思うと、踊りを始めてから10年ぐらいの頃だったので、そんなに落胆することなかったんですが・・・)
その後、三味線を始めて、そちらにのめり込んで、踊りの比重は徐々に小さくなりましたが・・・
ある日、「区民ホールを借りて、踊りの会をしましょうよ」と師匠が言ったことがありました。公共施設の使用は抽選になっていて、くじ運のいい人が行きましたが、不思議と何度くじを引いても当選しませんでした。
なぜか私も、そのホールで踊っている姿が想像できない・・・と思っていると、コロナ禍になって、踊りの会どころではなくなってしまいました。そして、師匠が高齢のためお稽古も長期延期、仲間も雲散霧消して、寂しい結末になってしまいました。
新しい師匠を探さないといけないなとは思いますが、今は三味線も講談もやっていて忙しい。せめて月に一回ぐらい舞踊に触れようと、友人を見にきたというわけです。
友人の踊りは相変わらず素晴らしい。トリの師匠の直前の出演だったので、事実上、弟子の中では一番上手なんでしょうね。あれこれ手を出す私には、一つのことを続けられる人は尊く見える〜。
他の皆さんの踊りも楽しく見ました。どちらかというと、若い人の踊りより、年いった人の方が味わいがあるというか・・・自分がそんな枯れたことを思うようになるとは、新発見です。
さて、数日後・・・懐かしくなって、約10年前の私の舞台のDVDを見てみました。何と、初舞台にして1日に2曲踊るという忙しさでした。当時の情熱がうかがえますなー。
舞台写真。
振り付け、よく覚えたねーと昔の自分に言ってあげたい。もうほとんど忘れちゃいました。
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- 猫と和のお稽古にまっしぐらな私の毎日をつづります。
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