久しぶりの三連休で、また正月が来たような笑・・・歌舞伎座に行ってきました。
コロナで歌舞伎座の演目も大分コンパクトになりました。3部制で、大体が舞踊プラス芝居の一部分。休憩入れても3時間で終わってしまいます。
でも、それでお芝居の楽しさが薄味になったというわけではなく、見れてよかった、役者さんもスタッフも元気にしてくれてよかったなーと思います。
私が見たのは第3部、「鬼次拍子舞(おにじひょうしまい)」と「鼠小僧次郎吉」です。
「鬼次ー」は芝翫さんがコロナにかかって、その代役の人もコロナになって、代役の代役という事態になっていましたが、10日から復帰されたとのことでした。
復帰を知らなかった私たち夫婦は、「代役のあの人、誰?」なんて会話をしていました。本人だって。周りの人は心でツッコミを入れてたでしょう。
「鼠小僧ー」は菊之助さんが主役。
特にひいきの役者さんのいない私ですが、菊之助さんは別格。菊之助さんは、私が長年取り組んでいる、ゆる体操の先輩でもあるからです。
私は月一回レッスンに行くかどうかの不真面目さですが、菊之助さんは長年真剣に取り組み、舞台の袖でも暇さえあればゆる体操に励んでいるそう。
その成果が鼠小僧では存分に発揮され、40代ですが、動きに全く無理がないです。泥棒に入るところや立ち回りも、バレリーナのように素早くしなやかです。
菊之助さんを見ると、ああ、私もゆる体操頑張ろう〜と思うんですよね。(ほんまか)
そして、もう一つの目玉、菊之助さんの長男、丑之助君がお目見え。
子役にしては大変長いセリフなんですが、よく稽古して、考えながら言っているのがよくわかります。
何というか、子役にある、かわいい!とか、元気!というのとは違う次元にいる感じの子で、いわば「小さな大人」。頭脳派で大成しそうです。
「鼠小僧ー」のお話ですが、韓ドラばりの義理人情に縛られて、ええ、悪者に屈しちゃうの?というところから大逆転、スカッと終わります。見た後の余韻がよいです。
作者が河竹黙阿弥なので、セリフが七五調で気持ち良いです。
この人は、幕末〜明治20年代の人です。
長唄でも活躍していて、お能の「江口」をもとに、長唄「時雨西行」の作詞をしています。もとの硬い文章を、見事に美しい歌詞にしています。
西行は、代々帝に仕える武家の跡取りに生まれたのに、根っから草食系なのか、出家して坊さんになった人です。
「時雨西行」では、西行が遊女の家に一晩、雨宿りし、お互いに自分の出自を語り合うシーンがあります。
西行の部分は私の超約ですが、こんな感じ。
「僕、そこそこよい家に生まれたけど、このままの人生でいいのかなーって思ってて。短い人生なんだから、もっと世の中を見たり、自分を見つめたいなーと。」
西行の現代にも通用するような?出家理由を聞いて、遊女は言います。ここから黙阿弥の歌詞を抜き書きしますが、
「あら羨まし、我が身の上 父母さえも白波の
寄する岸辺の川舟をとめて逢瀬の浪まくら、世にもはかなき流れの身
春のあしたに花咲いて 色なす山の粧(よそほ)いも
夕べの風に誘はれて 秋の夕べに紅葉(もみじ)して
月によせ雪によせ 問ひくる人も川竹の・・・(略)」
「人は心をとめざれば つらき浮世も色もなく 人も慕わじ 待ちもせじ
また別れ路(じ)もあらし吹く 花よ紅葉よ月雪の」
ああ、羨ましい・・・私は父も母も知らない、逢瀬を重ねて流れ流れてきたこの身・・・の後の、きれいで、分かったような分からないような歌詞がぐっときます。
これを三味線で弾くと、本当に音も日本語も美しくて情緒豊か。日本人としてこんな幸せな瞬間はないぐらいです。
この詞を書いたとき、黙阿弥は48歳。江戸三座(幕府公認の三つの劇場)を受け持つ劇作家として脂が乗り切った時代でした。
今回は、なぜか黙阿弥の七五調のセリフがぐっと来ました。
文化デジタルライブラリーを見ると、黙阿弥が「しらざあ言って聞かせやしょう」の白波物を書くに当たって、当時の講談を参考にしたとあります。そうか、それで気持ちよかったのか。
たくさんの「何となく好き〜」が集まって、ある日「うーんめっちゃ気になる!!」存在へと浮上する・・・おもしろいです。また研究テーマが増えた。
ふうちゃんは写真を撮ろうとすると顔を背けるので、寝てるか、中途半端な顔が多い。
人は心をとめざれば
この曲を弾くたびに、「く〜っ!黙阿弥、格好よすぎるよ!!」と
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- 猫と和のお稽古にまっしぐらな私の毎日をつづります。
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