ふうちゃん物語・夏(7)伝統空手っていうのは

「えりぃちゃんって、「ちゅらさん」からつけたの?」

えりぃに気を使って、かりゆしウェア担当の小杉さんが話しかけました。

えりぃは、はっとよそゆきの顔になりました。「本名はえりかなんです。赤ちゃんのころドラマが始まって、みんなにえりぃって呼ばれるようになったから、芸名もえりぃにしました」

「へー、「ちゅらさん」のときに赤ちゃんだってー?」渡店長は言いながらビールをぐいぐい飲みます。「あのドラマのとき、とっくに社会人だった!」「俺、もう東京にいた!」昭和生まれが次々に驚いてみせます。

年上と飲むと必ず「ついこの間と思ったらウン十年前!」という話題になるものです。筆者も昔は「またか・・・」とうんざりしていましたが、時代も平成から令和になり、あのころの先輩たちの気持ちがよーくわかるようになりました。

1日が24時間であり1分がどのくらいの間なのか知っているつもりでも、大人になってからの時間の早さは若者にはわかりません。「自分もわかるようになった!」と本人が一番驚いているんです。人間はそうやって順繰りに年をとっていくんだな。

「そういえば、演武のとき、沖縄伝統空手って何ですかって言うお客さんいたね」店長が言います。

「だからよ、空手って、伝統空手と競技空手とあるんですよって演武のたびに説明するわけよ」ふうちゃんお父さんもふだんは聞き役ですが、空手になると饒舌になります。

「もともと空手は中国から琉球に入ってきて「唐手」と書いたけど、そのころは琉球の士族が自己鍛錬、護身術として修行していたものだった。自分の子供だけに伝えるっていう方法でね。

それが明治12年の琉球処分で、琉球国もなくなって士族階級がいなくなった。

旧慣温存政策で20年ほどは社会のシステムは余り変わらなかったらしいけど、日本政府は突然その政策を打ち切ったから、当時の人は空手を残すべく必死に頭をひねったさ。それで、体系化して学校や警察で空手を指導することに活路を見出したんだ。」

「ちょっと茶の湯と似ているのね」小杉さんが言います。

「学校教育に取り入れたあたりがね。」お父さんは続けます。

「本土でも大正から昭和にかけて大学を中心に普及したけど、何せ血気盛んな大学生だから、勝ち負け、競技の要素を取り入れることになった。

まあそれでわかりやすいスポーツとして認知されてオリンピックの種目にもなったけど、それはもともとの空手とは別物だよ。

「空手に先手なし」って言われるように、本来は護身術、自分の安全を守るものなんだし、比べる相手は他人じゃなく昨日までの自分であるはずなんだ。誰それより強いっていうのは体力のあるときはいいけど、いずれは若いやつに負ける。一対一の組手中心のフルコンタクトの空手家も、最後は伝統空手に行き着くんだ」

お父さんの話をえりぃとマナは静かに聞いていました。

 

ふう

最近、日の出が早いせいか早起きのふうちゃん。家族を起こすのが困りもの。