ちむどん・たられば劇場・賢秀の出生の秘密編1

 

今週のちむどんは、いつものおふざけは封印して、平和教育っぽい方向性でした。

最後は暢子と和彦君がチュッチュして「続く」。周囲を散々振り回した末に結ばれた二人でしたが、前半の悲しい物語を見せられた後だと、「まあいいか。生きてるだけで丸もうけ」という気分になるから不思議。

 

優子や賢三さん、オーナー、まして鶴太郎との繋がりの話は、今更いいような気がしました。

 

何か足りないなーと思ったら「で、賢秀にーにーは本当に賢三の息子なのか?優子の連れ子ではないのか?」という疑問が解消されていませんでした。

 

というわけで、「ちむどん・たられば劇場・賢秀の出生の秘密編」スタート!

 

ウークイの夜、4人の子供たちに昔話をした優子。子供たちは深く感じ入り、また家族の絆が強くなりました。優子は賢三の写真に向かって心で語りかけます。「お父ちゃん、子供たちに半分だけ話したさ。あとの半分は私がお墓に持って行くからね」・・・・

 

昭和20年、優子は、家族と離れ離れになり、弟・秀夫とともに山の中を逃げ回っていました。心押しつぶされそうな日々でしたが、唯一の救いは弟の明るさでした。

 

小さな弟は、いつも心を温かくしてくれます。「おうちに帰ったら、ねーねーに沖縄一おっきなサーターアンダギー、作ってあげようねぇ」「食べ切れるかねぇ?お父ちゃんやお母ちゃんにもあげようね」そんなひと時が宝物でした。

 

やがてガマの中で米軍に捕まり、収容所へ。ところが、その直後に秀夫が亡くなります。「僕、沖縄で一番大きな星になって、ねーねーを見てるよ」と言い残して。優子は茫然自失。

 

収容所から少し離れた寂しい山のふもとに弟を埋めると、優子は涙も出ずにフラフラと歩いていました。もう何の希望もない・・・とそのとき、後ろから不意に肩をつかまれました。

 

「カモーン、ペラペラ・・・」「きゃー!!」米兵でした。女性は単独行動は危ないと聞いていたのに、うかつにも一人で山に来ていたのでした。「誰かー!誰か来てー!!」米兵の毛むくじゃらの腕は、振りほどこうにもビクともしません。もうダメだと思った瞬間、「優子ちゃん、逃げろ!!」がつっと殴る音、崩れ落ちる米兵。それは賢三・・・ではなく、

 

「しゅ、修堅(しゅうけん)にーにー!?」「よかった!優子ちゃんがいたって聞いて、追いかけてきたんだよ!」

 

修堅は、優子の姉がたしなんでいた琉球舞踊の師匠の息子でした。子供の時の病気が原因で足が不自由になり、戦争が始まってもすぐに召集されませんでした。やっと赤紙が来たころ日本軍が壊滅、捕虜になって同じ収容所にいたというわけです。

 

「にーにー、うち、もう、どうやって生きていけば・・・」優子の両目に涙があふれます。「優子ちゃん、二人で逃げよう」修堅が言います。「ええっ!?」

 

「ここだって、こんな輩がウヨウヨして、決して安全じゃないさ。二人なら何とかなるさ。行こう!」

 

優子は少し考えて、そうだ、うちはさっきまで死にたいと思っていたのに、今は二人で生きようと言ってくれる人がいる。一度は死んだと思って、どうにでもなれ!

 

優子と修堅の二人は、その夜、収容所を抜け出していきました。(続く)

 

 

投稿者プロフィール

古波蔵ふう香
古波蔵ふう香
猫と和のお稽古にまっしぐらな私の毎日をつづります。