松本清張といえば、福岡隆という専属の速記者を雇っていたので有名ですが、その福岡さんの著書をアマゾンで注文しました。
福岡さんが速記をやったのは昭和34年から昭和43年の9年間です。
第二話 「小説速記の苦心」の章を見ると、
「まず、速記長の隅にナンバーを振り、1枚に1行20字分に相当する速記文を5行書くことにした。」とあります。
時に4行になったら、次のページは6行書くようにして、常に1枚5行書くことで、ナンバー4なら400字詰め原稿用紙1枚分となるわけです。
すごいね!
「特に注意したのは、速記文を1行20字分書いたつもりでも、外来語や省略符号その他が多いため21字になることがある点だ。」
はみ出した1字は、次の文が改行になる場合は1行分に計算しなければいけないし、わずか1字でも3回繰り返せば3行分の誤差が生じます。これを回避するため、改行のところでは速記も改行する方法にしました。
新聞や週刊誌など媒体によって枚数制限は変わるのですが、驚嘆するのは、福岡さんが「今、1枚分です」と枚数を告げながら速記をし、「あと10行でまとめてください」と言うと、清張がそのようにちゃんとまとめ上げるという。
福岡さんは、符号を書くだけでなく、当時、清張は毎月10本以上の連載を持っていたので、人物の服装、季節、東京弁か大阪弁か、混同しないように最新の注意を払っていたそうです。
「後述するときは眼は閉じ、すらすらと文章体が厚い唇から流れ出た。(略) 大抵の人は話し言葉になるのだが、松本さんの場合にはそのまま立派な文章になる。これも特別な才能と言うべきであろう」
ただ、余り長く口述を続けていると話し言葉が顔を出してくるので、6枚とか8枚で休み、福岡さんが反訳している間に次の構想を練り、まとまると再び口述を続けたとあります。
この連携プレーで、月に1000枚、日に30枚以上の口述をして、それも同時に2つ、3つなりを交互にやって、「強靭な頭脳の持ち主」とたたえています。
口述の欠点を百も承知の清張は、反訳原稿に手を入れ、さらにゲラ刷りでも修正しているので、読者の中には口述とは思わない人も多いそう。時間もないので、ほとんど修正は入っていないのじゃないかな。
ここで私は、ふと手塚治虫の話を思い出しました。
最盛期の手塚治虫も常に締め切りに追われ、事務所の外では編集者が何人も待っている状態だったそうです。
手塚はペン入れをしながら、助手に別の作品の下書きをさせたそうです。「次のページを3段に割って、上の段をさらに3つにして、右のコマの右肩にフキダシ、「@@@」というセリフ、真ん中のコマの左肩に「&&」というセリフ、それから・・・」
それを見ている凡人には、あたかも手塚の中には映画のフィルムがあって、それを一コマ一コマ説明しているように見えた・・・と昔読んだことがあります。
天才はすごい・・・
これは福岡さんが速記した時代のかな?と思いながら読む楽しみがふえました。昭和34年から43年ですよ。
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