昭和6年のチャップリン「蝙蝠(こうもり)の安(やす)さん」

歌舞伎でチャップリンをやるので、国立劇場に行きました。

何と!歌舞伎の初演は昭和6年、本家のチャップリン映画「街の灯」の日本公開は昭和9年なんだそうです!

映画の方が後?

チャップリンの歌舞伎化は今回が初めてだと思ったら、昔の人も貪欲に取り入れていたんですね〜。

「蝙蝠の安さんって誰よ」と思ったら、カタカナの名前を無理やり日本名にしたわけじゃなくて、ある歌舞伎の主人公がチャップリンに性質が似ているというので、人物を再利用したそうです。

昭和6年だし、こうする方が馴染みやすかったのかも。

国立劇場

ことしはチャップリンの生誕130年だそうです。

映画の撮影が始まったのが1928年。

ーー既にその前年に本格トーキー(発声)が始まり、サイレント映画にこだわるチャーリーには風当たりが厳しかったが、1931年に上映されるや、世界中で大ヒットを記録したーーとパンフレットにあります。

何でウケたんでしょう?

当時の歴史は大雑把にこんな感じ

1929年10月24日、ウォール街大暴落

1931年(昭和6年)、ハリウッドで公開、日本で歌舞伎化、満州事変

1933年(昭和8年)、日本、国連脱退

1934年(昭和9年)、日本で「街の灯」初公開

1939年、欧州で第二次世界大戦始まる

 

映画と歌舞伎、世界情勢、日本をごっちゃに書いた。(私の頭の中?)

1920年代後半は、相当なバブルが発生していたようです。

チャーリーがこの物語を構想したときは、まさにバブルの最後の最後、ドンチャン騒ぎの最中かしら。

あぶく銭を握った紳士淑女が、いかにくだらなく遊んでいるか、映画でも描写されてます。

撮影中の1929年に株価が大暴落して、街は失業者があふれ、暗い世相に。これも映画に出てきます。

1930年代は不景気とキナ臭さが、どんどん増してくる時代。

この映画がヒットしたのは、物語に出てくる笑い、かけ値なしの愛情、そんなものを当時の人々が必要としていたからでしょうね。

映画の一つ一つの場面を取り上げて、歌舞伎の演出だとこうなったね、おもしろいねと言っていられるのは幸せなことです。

ふう

チャーリー?知ってるにゃ。マブダチだにゃ!

もう130歳?そうは見えなかったにゃ〜。

アンチエイジング教えてにゃ!

(ふうちゃんは、わんこのチャーリーとは確かにマブダチですが・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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古波蔵ふう香
古波蔵ふう香
猫と和のお稽古にまっしぐらな私の毎日をつづります。