「鎌倉殿」に巴御前が!!

 

久々の更新となってしまいました。世の中はゴールデンウイーク真っ只中ですが、私もお休みを満喫しています。

 

といってもどこかに行くわけでもなく、専ら体を休めるため、毎日たっぷり睡眠とって「寝連休」を楽しんでいます。

 

その間に、たまった「鎌倉殿」と「ちむどんどん」を消化します。「鎌倉殿」は、巴御前が活躍する4月24日の回をやっと見られて、これはブログで触れないわけにはいかない笑

 

木曽義仲の巴御前ともよい人物に描かれていて、この先、「巴御前」をやるときは二人のイメージで演じられそうです。(いつだ)

 

秋元才加ちゃんの巴御前は、「愛妾」という甘いイメージを蹴っ飛ばす、武者の厳しさと悲哀を感じさせるものでした。

 

それでも、巴の台詞を見ると「色恋はとうに捨てた。私はあの方に終生尽くすことに決めている」「地の果てまで殿のおそばに」義仲を思う気持ちにあふれています。人間として一生ついていきますぐらいの覚悟だったんですねー。

 

でも、戦うシーンはあっさりしてた笑

 

せめて馬に乗って、強い!カッコいい!という描写が欲しかったなあ。予算がなかったのはわかるけど。

 

ま、もともと、巴御前は存在すら怪しいという説があります・・・「平家物語」の「木曽最期」の部分にちらっと出てくるだけで。

 

しかし、当時の女性は圧倒的に受け身でしたよね。北条政子は気も強いし頭もいいのに、家で待っているだけ。小池栄子もエネルギー持て余してる感じが画面から伝わってきます。静御前は義経の子供を頼朝に殺されてしまうし。

 

というわけで、「一人ぐらいこんな女がいたら面白いなあ」と想像たくましく生み出されたのが巴御前だったのかなと思います。情に厚く、美人で、薙刀が得意で、怪力で。

 

運悪く和田義盛に捕らえられてしまうけど・・・・講談ではこうなっています↓

「ところが、実はこのときに巴は木曽義仲のたねを宿しておりました。これを和田義盛の子として旭丸(あさひまる)と名づけて育てましたが、後に成人して朝日奈三郎義秀(あさひなさぶろうよしひで)という豪傑になったのでございます」

 

この一発逆転ぶりがよいですな。

 

さて、補講のとき、紫先生と、我が子の出生の秘密を、和田義盛は気がついていたのか?というのでちょっと話題になりました。紫先生は、「気がついていた」派で、昔の武将は器が大きいから、全て了解した上で我が子として育てたのでは?という考えでした。

 

これに対して、私は「気がつかなかった」派です。

 

巴は、真実を言うと子供が殺されてしまうと思って、言わなかった。むしろ積極的に「ほら!この子、殿にそっくりでございます!」とか言って、単純な和田義盛をすっかり信じ込ませていたのでは?と思うのです。幼名が旭丸というのも、旭将軍と言われた義仲を想像させるし、成人した後の名前も「あさひ」がついていますよねー。

 

巴を手に入れて有頂天になっている和田義盛に、カッコウの托卵よろしく義仲の子供を育てさせる。一矢報いた格好ですね。子供を失う静御前とは対象的です。

 

ま、どこまでも想像ですけど。